7年ぶりのイリマニ山
7年が、飛ぶように過ぎて行った。
久しぶりのラパスである。
町はどんなに変わっただろうか?

距離の向こうにある記憶の中の風景が、
すでに時の向こうにあるのかも知れない。

しかし、
イリマニ山は見下ろしている。
ラパスの町の喧噪を…

間もなく私も、
その喧噪の一部となるのだ。

7年ぶりのラパス。
7年ぶりのsorojchi(高山病)だけが憂鬱である。

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# by mixturamusic | 2017-10-24 18:36
日々の暮らしのひとコマ
ラパスの町の、ロドリゲス市場の朝は早い。

まだ暗いうちから、バスやトラックで荷物が運ばれる。
ひと抱え以上ある大きな包みが下ろされると、
荷運びの人足カルガドールが、その包みをいくつも背負い、
荷主のうしろについて、それぞれの売場まで運んでゆく。
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荷主は、売り場の近くに預けてある日傘を組み立て、
見栄えよく、自分の商い物を並べてゆく。
野菜も、果物も、チーズも、鶏肉も、
彩り豊かに、
形よく、
分かりやすく、
美味しそうに並べてゆく。

日が昇り切ったころ、市場は最も賑やかだ。
新聞売りの少年の声が響き、
朝ご飯に、リャウチャを売り歩くチョリータの声も負けてはいない。

買い物客を呼び止める売り子の声。
日が高くなる頃に現れる、アイスクリーム売りのラッパホーンの音。

食料品に日用品。
ありとあらゆる物が商われるロドリゲス市場は、
常に活気に満ちている。
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お昼も少し過ぎて、そろそろ売り場を片付ける人もいる時間、
アコーディオンの音が聞こえてきた。

ロドリゲス市場の、いちばん東の端の方でアコーディオンを弾く、
盲目の音楽家がいた。
次から次へと、ボリビアの民謡、舞曲を奏でてゆく。

彼の足下には木箱がひとつ。
コインが入る溝が切ってある。

しばらく聞き入ったあと、木箱にコインをいくつか入れると、
チャリンという音がした。
『Muchas Gracias!』
一瞬弾く手を止めてから、またすぐ続きから弾き始めた。
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アコーディオン弾きの姿は、
ロドリゲス市場の一部となっていた。
その彼の奏でる音楽も、
ロドリゲス市場の音になっていた。

市場と共に、毎日が繰り返されるそれぞれの日常。
日々の暮らしとともにある、
生命の営みである。

日々の暮らしの連続は、
生命の証しである。
日々の暮らしの中にこそ、
健全な美しさが満ちている。
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私の奏でる音楽も、
…いつでも、どこでも、
地球の傾き加減を感じながらの、
日々の暮らしのひとコマであり続けたい。



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# by mixturamusic | 2017-09-21 22:27
土地に根ざす
よく動いた8月であった。

8月初めの川俣町山木屋は、驚くほど寒かった。
今回も宿泊させていただいた大内さん宅では、ブルーベリーを摘ませていただいた。
「4日も放っておいたら、ほら、みんなアリに食われっちまう。」

大内さん丹精のブルーベリーは、美味しくジャムにして、ゆっくりいただいた。
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会津若松の居酒屋『籠太』では、いつも旬の地のものを美味しくいただける。
翌朝、籠太の鈴木さんに連れて行っていただいた農家の児島さんは、
自然農で野菜やお米を育てている。
ナス、ピーマン、トウモロコシ、畑で採ったそのままで食べられる。
何ともびっくりするような野菜である。

三春〜会津若松〜南会津…福島の旅は、いつも旬の美味しさ満載である。

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中旬からは、今年二度目の九州。
蒲郡〜倉敷を経由するので、それほど遠くには感じない。
松下隆二さんと合流すれば、もう地元にいるのも同然だ。

今年もお世話になった北九州の池田国昭さんは、
瓶一杯の梅干しと二升の梅酢を用意して待っていて下さった。
ここ数年来、池田さんの梅干しが我が家の味覚の一角を占めている。
マンドリン、ギター×2、チャランゴの四重奏のレパートリーが増えるのも楽しい事だ。
・・・
和田名保子さんのお招きで、初めて法華院温泉山荘に伺った。
標高1.300m、久住連山の坊がづる湿原の端にあるこの山荘で、
和田さんは16年もコンサートを続けているそうだ。
九州最高所の源泉は、湯の花が程よく漂う好いお湯であった。
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国東半島での滞在も初めてである。
昨年5月から、国見ユースホステルを引き継がれた友人吉田さんご夫妻が、
コンサートを企画して下さった。

アクティブな拓也さん、真由美さんの周りに集うのは、とても個性的な土地の人たち。
料理人・拓也さんの「アースオーブン料理」に舌鼓を打ちながら、夜遅くまで話が弾んだ。

三方を美しい海岸に囲まれ、緑豊かな山里が続き、
あちらこちらに神社仏閣が散在する国東では、
すべてのものが生き生きとして、日の光も、海の煌めきも、とても力強く感じられた。
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・・
『土地に根ざす』とは、
その場所において、森羅万象の一部となることであって、
決して土地にしばられることではない。
真に土地に根ざしている人たちからは、
雄大な自由を感じる。




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# by mixturamusic | 2017-08-31 12:01
美しさに育まれた命
初めて福岡県東峰村の小石原を訪ねたのは、2013年の初夏であった。
そのすぐあとに、丹沢ドン会の会報に、こんな文章を書いた。
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(前略)
 先日、福岡県東峰村の小石原(こいしわら)に行って来ました。大分県境にほど近い小石原は、17世紀から続く焼き物の里としても知られています。大分道を下り、『やきもの街道』と呼ばれる山間の道を東峰村に入った頃から、道の両側に棚田が現れました。狭い面積の田んぼはすべて小さな石を積み組んだ石垣で段々に仕切られ、細い流れから取り込んだ水が、上から順番に掛け流されていました。小石原まで20km以上の山道沿いに、小さな棚田群はずっと続いているのです。
「このあたりの窯元も、もとはみんな田んぼや畑をやりながら、焼き物を焼いていたんです。今でも、自分のところで食べるくらいは作りよりますよ。」
小石原焼を代表する名工、故太田熊夫さんの跡取り孝宏さんの奥様が、笑いながらおっしゃっていました。
 『やきもの街道』沿いの棚田は、とても手入れの行き届いた田んぼばかりでした。機械の入らない小さな耕作地、形も大きさも様々です。それぞれに別々の家が耕作しているに違いありません。にもかかわらず、不思議なまでの統一感。まさに伝統的風景の美しさです。

 人々は、その土地々で生きるために、さまざまな工夫を重ね、いろいろな技術を編み出して来ました。その技術の中には、道具や決まり事、更に言えばものの考え方…哲学も含まれます。それはすなわち、哲学…生きるための工夫…が、技術を生み出して来たとも言えるでしょう。一般的に、それらを総称して『文化』と呼んでいます。よく「文化は人々の生活の中で生まれて来た」と解釈されていますが、それよりも「文化が人々を生かして来た」と言い換えた方が的確ではないでしょうか?

 『伝統的風景の美しさ』は、『伝統文化の継承・実践』によってのみ成り立ちます。そこには生きるための智慧が充満し、生きるための美しさがいっぱいに現れています。農作業は言うまでもなく、生きるための働きです。伝統的農業が継承された風景が美しいのは、『生きるための美しさ』なのです。

--------(2013.8.4.美しい風景とは その2)
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時を同じくして、九州に行く機会があれば立ち寄るようになったのが、
日田市源栄町の小鹿田焼きの里である。

昨年5月、小鹿田から山道を通って東峰村に抜けた。
途中、それこそ昔話に出てきそうな集落がいくつもあり、
その美しさに、幾度となく車を下りて辺りを散策した。

山間に点在する家々の脇には、必ず小川が流れている。
清らかな水が流れている。
生活のための水。
田畑のための水。
命を繋ぐ水。
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その水が、たくさんの命を奪ってしまった。
生活のための水が、たくさんの人たちの生活の場を破壊してしまった。
棚田を満たすはずの水が、多くの棚田を壊してしまった。

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地形をも変えてしまうような豪雨の残した爪痕に、
その復旧は気の遠くなるような作業に違いない。

それでも…
この大らかな山間の美しさに育てられた、
たくさんの命に思いを馳せて、
どうか美しさを美しさのままで、
美しい暮らしを取り戻して下さい。

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美しさに育まれた命こそ、
美しさに溢れる、平和な未来の糧なのです。




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# by mixturamusic | 2017-07-13 22:45
お天道様の都合
「今年は雨が少なくて…」

田んぼ作業の季節、
田んぼのことを尋ねられると、
こんなふうに答えていた。

実際、春先からの天候は雨が少なく、
我が田んぼの下を流れる小川には、
ほとんど水がない状態が続いていた。

5月に初めに和之さんがトラクターをかけて下さり、
なんとか苗代分の水だけ引いて、自家採取の種籾を播く。
気温の乱高下もあり、徒長気味ではあるが、田植えのための苗は育ってくれた。

「今年は雨が少なくて…」

着々と作業が進む和之さんの田んぼを横目に、
私は自身への言い訳を繰り返していた。

「こっちには全然水がねえだよ」
5年前までこの田んぼを守ってきた金一さんの言葉が思い出される。
梅雨入りまで水に不自由することは、昨年までの経験で分かっていることだ。

「今年は水が少なくて…」

福島に出発する前日、まとまった雨が降った。
「今しかない」と、雨の中、夢中で代を掻き、やっと下の三枚を田んぼにした。
小川の水の絶対量が少なく、上の三枚には水が溜まらない。

「今年は水が少なくて…
田植えは下の三枚だけになりそうだ。」

「上の三枚に水がないので、取水口をいじっておきました。」
福島滞在中に和之さんからメールが届いた。
ありがたい話。でも雨がなければ水は溜まらないだろうなあ…

きれいに代が掻かれた最上段。水はしっかり溜まっている。
二段目、三段目は、まだ畑のような姿である。
下の三枚の田植えをしながら考えた。

「今年は雨が少なくて…」

翌日、たくさんの雨が降った。
また「今しかない」と、大雨の中、夢中で代を掻いた。
小川の水はみるみる増えて、田んぼに水が満ちてきた。

翌日。
スケジュールの都合上、田植えの日程は今日一日しかない。
田んぼに梯子をかけ、泥を平らにならしてから、早速田植えに取りかかった。

目の前に現れた小さなカエルが、急に歌を歌いだした。
「歌は、こうやって歌うのよ」
カエルが教えてくれているような、美しく、力強い歌である。

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今年もなんとか田植えができた。
初夏の風景ができた。
この安堵の気持ちは格別だ。

不出来な私の田んぼ作業に
いつも手を差し伸べて下さる和之さん、
本当にありがとうございます。

「今年は雨が少なくて…」
「そんなこと言っちゃぁ、お天道様に叱られらぁ。」
これも金一さんの言葉。

『農とは、お天道様の都合に人間が合わせるということ』

今年の田植えでも、またたくさんのことを学ばせていただいた。

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# by mixturamusic | 2017-06-27 18:09



  木下 尊惇 
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