数年来、我が家は毎年手前味噌である。 このところ、自家栽培のお米から麹を育て、 友人の作った大豆で仕込んでいる。 妻から、 水分量とか塩分とか、何か変えてみたい事はあるか聞かれ、 去年と同じでいい、と応えた。 こういう味覚について、自分はかなり寛容だと思う。 ただ「美味しければいい」と思う。 美味しいものに対しては、 極力自分の好みを前に出さないことにしている。 ---------- 知らない土地に行って、そこで出された郷土料理が、 自分の口に合わないときには、 自分の味覚には、この新しい美味しさを受け入れるだけの容量がない、 と思う事にしている。 そして出来る事なら、 あと複数回、別の機会に食べてみる。 ---------- ものごとを正しく判断するためには、 普遍的な判断力を磨いておかなければならない。 磨いておくと言うよりも、 ニュートラルな状態にしておくことが好ましい。 人間には、 個人としての好き嫌いが必ずつきまとうので、 ことさらそれを強調するより、 極力それを抑えておいた方が、 より自然な判断ができるはずである。 好き嫌いを優先して判断すると 自分勝手な結果になりやすい。 それでは何を判断の基準にするか…… それは「命と直結しているかどうか」である。 ---------- 真の美味しさは、命に直結した美味しさである。 その美味しさは、「ただ美味しい」としか言いようがない。 それは何の分野でも同じこと。 音楽でも絵画でも文学でも。 ---------- フォルクローレは自由な音楽である。 演奏者に、多くの判断が委ねられている。 その判断には、(形式上の約束事を除いて)狭義の正誤は存在しない。 ただ、命に直結しているか否かが問われるのみである。 「私にそんな判断が出来るでしょうか?」 ある生徒さんの問いに、 「日々の暮らしが真っ当であれば、誰にでも正しい判断ができるでしょう。 一人ひとりの判断がそれぞれでも、真っ当な暮らしが反映されていれば、 それはすべて正しい判断だと言えるのです。」 と応えた。 命に直結した判断を、電光石火で下せるように、 日々の暮らしを、美しく調えたいと思う。
by mixturamusic
| 2017-05-07 23:30
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