いのちの美味しさ
先月の最終週 稲刈りをした。

作付けの六割ほどは
イノシシくんや シカさんのおなかに収まったが
今年も稲を ハザに掛けられたこと
秋の風景を つくれたこと
来期もまた 「がんばろう」という気持ちになる。

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「百姓はだれでも
自分の作った米が一番うめぇべ。」

福島の農家さんの言葉どおり
自分のお米が やっぱり いちばん美味しい。

粒は小さくとも
全く雑味がないお米。
適度にねばり
適度に甘く
強いて云えば
山の湧水の味がする。
どこにもひっかかりのない 美味しさだ。
いのちを育む 美味しさだ。

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美味しさは いのちを育む。
人間は本能で 美味しさを感じる。

身体が必要としているものを
いのちが必要としているものを
人間は 美味しいと感じて
それを欲する自然(じねん)を持っている。
味覚という部分的な感覚だけではなく
身心が、いのちが、欲する美味しさである。

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いたずらに 味覚を刺激する
スナック菓子系の「美味しさ」が氾濫し
マスコミ、メディア、タレントの
もっともらしい「美味しさ話」に翻弄され
本来持ち合わせているはずの
真の美味しさに対する感覚を
決して 失わせてはならない。

好き嫌いの以前にある
本来の美味しさを 知ることは
普遍性のある美味しさに 気付くことは
いのちの美味しさを 味わうことは
決して 難しいことではない。
決して 高価なことではない。

美味しさ
それは
とても 幸せなことだ。



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# by mixturamusic | 2016-10-27 22:56
人の手から離れる
手紡ぎ手織りの布は とても美しい。

染めが入っているものも
文様が織り込んであるものも
それぞれに美しいが
平織り生地の 誠実さは
また 格別である。

綿糸で織り上げた生成りの布は
お湯で煮て 乾かして 仕上げる。
織りたてに比べて
何とも風合いが良くなる。

人の手によって
紡がれ 織られた布は
煮られ 風に当てられることで
人の手から離れるのだ。
人の作為から離れるのだ。

作為から離れることで
美しさを増すのだ。
人の手から離れることで
本来の美しさを
自らが整えると云ってもよい。

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陶器も 磁器も
窯の中で美しさを整える。

吹かれたガラスは
冷めることで美しさを整える。

無造作に 花器に挿された花たちは
自ら美しさを整える。

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思うように行かないことの方が
より美しいものに近いことを
日々の暮らしに見つけることは
とても 大切なことだと思う。


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# by mixturamusic | 2016-09-22 00:10
美の担手
美(び)は特別なものではない。
誰しもが 美の担手になれる。

人間の本質に沿った行為には
つねに美が伴うものだ。
言い方を変えれば
美に寄り添う行為が
人間の本質的な営みである。

森羅万象の織りなす景色に
美を伴わないものが
ひとつでもあろうか?

人々の暮らしの中の
本質的な営みから生じる事物は
かならず美を伴っている。

暮らしの中の本質的な営みは
森羅万象の一部である。

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宇宙の営みに
好き嫌いは存在しない。
何かの作用によって
循環しているのみである。

その何かを
天と言い
神と言い
その作用を
自然(じねん)と言った。

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自然(じねん)によって生じた人間の生命を
自然(じねん)に従って営めば
それはそのまま 森羅万象の姿である。
それはそのまま 宇宙の営みと同じである。

宇宙の営みが 好嫌を区別しないように
美も その担手を選ばない。

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自然(じねん)を離れた 人間の
損得勘定で設定された 偽りの
価値観に惑わされぬよう、
森羅万象から溢れる
無辺の美に交わる暮らしを実践すれば、
誰でも美の担手になれるのだ。


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# by mixturamusic | 2016-09-17 16:05
arte(芸術)の社会性
arte(芸術)はいのちの発露である。

命〜いのちが
さまざまな形で
表出する。

担手によって表出された
いのちは
受け手のいのちと感応する。

偽りのない
邪念のない
奢りのない
下心のない
いのちの表出は
必ず、受け手のいのちに
作用する。

たとえ受け手が気付かなくとも
受け手のいのちに
ポジティヴにとどまる。

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いのちを
本能とよんでもよい。
本性とよんでもよい。
本質とよんでもよい。
鈴木大拙博士は、霊性とよんだ。

好嫌や
感情や
感動や
癒しや
無意識ですら生じる前の
根源的ないのちである。

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それぞれのarteは、必然的に生まれ
それはそのまま
いのちを繋ぐ糧として
技術的にも
霊性的にも
いまのいままで、存在してきたはずである。

それが『arteの社会性』だと
私は考える。



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# by mixturamusic | 2016-08-31 23:51
温かく、力強く、優しく
  トルストイの民話『イワンのばか』で、イワンの国の唯一の習わしは、「どんな人でも手のゴツゴツした人は食事のテーブルへつけるが、そうでない人はどんな人でも他の人の食べ残りを食べなければならないこと」とあります。森羅万象の巡りの中で、暮らしを営むために働く手は温かく、働く足は力強く、働く心身は優しさに満ちています。
  フォルクローレの生い立ちがそうであるように、音楽が、すべての人々の暮らしとともに、呼吸し鼓動する存在でありたいと思っています。生命を全うするために働く誰しもが、温かく、力強く、優しい毎日を送れる世の中にしたいと願っています。
木下尊惇
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7月30日 永山子ども基金コンサートのプログラムに寄せた文章である。

今回のコンサートに招かれた、ペルーの働く子どもたちの組織『マントック』のメンバー、トミーくんとアニーさん(共に16歳)の笑顔も、会の創始者アレハンドロ神父のお人柄も、温かく、力強く、優しさに満ちていた。

心にダメージを与えるニュースが蔓延する中でも、希望の光は決して消えることはない。未来へと繋がる花々は、たとえそれが小さくても、世界中でたくさん咲いているはずだ。

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# by mixturamusic | 2016-08-01 21:09



  木下 尊惇 
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