8月9日に寄せて
ひと月ほど前、初めて長崎原爆資料館を訪れた。
広島に続く長崎の惨劇、生々しい写真に言葉を失う。

長崎の資料館は、写真や資料で原爆による甚大な被害を伝えながら、
どうして長崎に落とされたのか、
どのような経緯で原子力爆弾が出来たのか、
どうして戦争末期に原爆が使用されたか、
どうしてこの戦争が始まったか…
だれがどうしてこの戦争を始めたか…
そして近年に到るまでの原水爆実験に伴う被害の声…等々の紹介に、
大きなスペースを取っている。
原爆の恐ろしさを知るとともに、戦争の愚かさを知り、
それぞれ個人がこれから何をすべきかを考えさせてくれる展示である。

戦争は大変愚かな行為である。
近年それらを起こした国々は、いわゆる先進国であり、
巨大な軍事力を持った主要先進国の多くは、
未だに武力の誇示による威嚇をやめていない。
『先進国の節度・良心』など信用に値しないことがよく分かる。

日本の政府も、安保法案によって戦争可能な主要先進国の仲間入りをしたいのだろう。
あまりにも稚拙である。
肯定される戦争など、どこにもないことを知るべきである。

人は国籍、宗教、哲学などに関係なく、自分の命が愛おしいのだ。
それは生き物の本能として、すべての人間に備わっている。
それはすべての人が、幸福を求めることの基本である。
自分の幸福を追求するのは正しい道である。
しかしその道を歩むためには、
自らの幸せと引き換えに誰かの幸せを奪っていないか、つねに考えることが必要だ。
想像すれば、さまざまな事に想いが到る。
それを基準に、自らが自らの行動を決めて行けば良い。

資料館に丸木位里・俊夫妻の作品『原爆の図/第14部/からす』が、
石牟礼道子さんの文章とともに展示されている。
原爆の甚大な被害を受けてまでの差別意識…。
誤った教育は、人格や性格をもねじ曲げて、
かくも歪んだ意識を植え付けてしまうのか。

人間の基本単位は、個人であるはずだ。
人はみんな、自らの命の主役である。

人間は、自然(じねん…自ずから然り)に備わった本能に、
もっと意識を向けて、
自信と自覚を持って、
生きて行くべきではなかろうか?
人間に備わった智慧を、
戦わないために活用すべきである。



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by mixturamusic | 2015-08-09 16:22
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  木下 尊惇 
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