人気ブログランキング |
本能の美
民藝運動の祖柳宗悦は、もともと宗教学者である。
若き頃はキリスト教を、のちに仏教を深く学んだ。
より良い社会の実現を志す眼から、民衆工藝の美しさを見出し、
大無量寿経の願文より『美の法門』をうちたてた。

『用の美』....暮らしの中の必要性が産み出した美。
言い換えれば、暮らしの中の『必要』は、常に絶対美を伴う...ということ。
さらに言い換えれば、『いのちの美』『本能の美』とも言えるだろう。
本能の美_c0357413_10165102.jpeg
・・・・・
ある光景を思い出す。
会津三島町の工人まつりで.....

今や名高い会津三島町の『山葡萄籠』は、
地元の人たちが秋にキノコを収穫するために使っていた。
地元の山中で取れる山葡萄の蔓で、地元の名人たちが農閑期に編んでいたもの。
編み目が荒く、収穫したキノコや山菜の胞子が編み目から地面に落ち、
翌年以降もキノコや山菜が育つ…という仕組みだ。
太い蔓は太いなりに、
曲がった蔓は曲がったなりに、
それが特有の造形美を形作る…まさに『無作為の美』。

ここ数年、その魅力が広く知れ渡ると、
行商人が『山葡萄籠』を買い漁りに来るようになったと言う。
限られた原材料に、限られた職人。
瞬く間に価格は高騰した。
それに危機感を抱いた会津三島町が『山葡萄籠』を一括管理して、
年に一度、一般向けに売り出すのが『工人まつり』である。

森の中に張られたテントをブースに、何人もの職人さんたちが店を出す。
平等に購入機会を…ということで、イベント・オープンの合図があるまで売買禁止。
合図の前からお目当の店の前に群がる人、人、人…。
驚くことに最前列の何人かは、もうすでにいくつもの籠の持ち手に腕を通している。
「ハイどうぞ」の合図とともに、大方の籠は売れてしまうのだ。
そんなことをする人のほとんどが妙齢の女性。
その出で立ちは、『ザ・民藝』とでも言おうか…
これ見よがしにも見えるほど、手織りや手染めの『高級品』を纏っている。

高級ブランド化した民藝に、
腕からいくつもぶら下げられた山葡萄籠に、
柳宗悦の心は、その面影さえ認められない。
本能の美_c0357413_10173340.jpeg
民藝は『有名』になり過ぎてしまった。
柳の心を置き去りに、
『民藝』自体が、名声の道を歩かされるようになってしまった。
これほど追い立てられれば、『民藝の心』など語っている時間もなかろう。

宗教学者としての、そして宗教家としての柳宗悦の心を、
どれほどの人が知っているだろうか?
どれほどの人が関心を持っているだろうか?
どれほどの人が理解しているだろうか?

本来民藝は寡黙なはず。
本来民藝は無名のはず。
本来民藝は大金と無縁のはずである。

有名は『毒』を併せ持つ。
名声からは『猛毒』が生じる。
それらが『もの』の姿を醜くする。
それらが『もの』を『美』から遠ざけることを、
『本能の美』から乖離していくことを、柳宗悦は発見したのである。
本能の美_c0357413_10220085.jpeg
・・・・・
ボリビアはいまバブルである。
どこへ行っても、ビルの建築は盛んで、車の数もどんどん増えている。
商業施設も、レストランも増え、
物価も上昇して…
お金が回れば、収入も増える。

多くの人たちはそれを『発展』と呼ぶ。
大気汚染、水質汚染、自然破壊、自給率低下、貧困、格差、治安悪化…
そうしたものが目の前に表れたとしても、
多くの人たちは『発展』を望む。
際限のない発展などあり得ないことには目をつむり、
ただただ『発展』の名で、現状を肯定する。

ーそれは何もボリビアにかぎったことではないが…
本能の美_c0357413_10593941.jpeg
現在のボリビアの音楽状況は最悪だ。
いわゆる売れているものの、どこを取っても美しさの欠片すらない。
フォルクローレの楽器を使ってはいても、それは音の素材としか聞こえない。
ボリビアのリズムを使ってはいても、それらは興奮剤としての役割だけ。
メロディは耳心地の良さだけを抽出し、
歌詞に至っては…言葉がないほどに劣悪である。
そしてどれを聞いても同じ響きがする。

「まともなコンサートには人が入らない…」
多くの同僚音楽家たちから、何度この言葉を聞いたことか。
「酔いが回って踊りまくれればいいんだ。」
「一発ヒットすればもう安泰さ。」
「彼らのギャラはビックリするくらい高いんだぜ!」

そう!驚くべきことに、今のボリビアでは音楽で『稼げる』のだ!
本能の美_c0357413_14354726.jpg
ペーニャ・ナイラ時代の同僚と、またそんな話になった。

「俺たちがペーニャで音楽をやっていた頃って稼げたか?」
「いや全然。せいぜい交通費の足しになったくらいかな…」
「だからみんな一生懸命にやったんだと思わないか?」
「・・・・・・・・」
「みんなお金にはならない事をよくよく承知の上で、音楽に情熱を傾けていた。」
「純粋に音楽を愛するヤツらだけが、愛情だけで音楽をやっていたんだ。」
「だから全てのグループに特色があったし、力もあった。」
「もちろん上手い下手はあったし、売れた売れないもあったさ。」
「でもそれは付録のようなもの。」
「みんな私生活を犠牲にしてまで、音楽に愛情を注いでいたんだ。」

「今は音楽で稼げる。音楽で金儲けができるんだ。」
「一発ヒットを飛ばせば、大金と名声が転がり込んでくる。」
「だから売れるかもしれないものばかりを作ろうとする。」
「音楽に対する愛なんてこれっぽっちもない連中が、
 金と名声のために音楽のようなものを作っている。」
「それではどんどん腐敗していくのが当然だ!」

本能の美_c0357413_10230527.jpeg
柳宗悦が夢見た『美による理想社会の実現』。
まだまだ道のりは遠いようだが、私も必ず行き着けると信じている。

本能を信じること。
本能を曇らせないこと。
体制というものに惑わされないこと。
名声の偽りに毒されないこと。
お金の魔力に拐かされないこと。

レコーディングは出来なかったが、
自分たちのすべき仕事が明確になったことは
大きな収穫であった。
本能の美_c0357413_10211689.jpg

# by mixturamusic | 2019-07-25 16:01
EL ALTOとCHIJINI
地盤が弱く、坂道だらけのラパスでは、
ロープウェイが重要な交通手段となっている。
数年前に北欧からの技術で導入されて以来、今や9路線。
地下鉄さながらの路線網である。
EL ALTOとCHIJINI_c0357413_11002782.jpeg
街の『上空を走る』ロープウェイからは、ラパスの絶景が楽しめる。

全ての路線に乗ってみた。

RIO SECO(水無川)...かつてのEL ALTOの『出口』である。
農村然とした風景だったはずが.....
EL ALTOとCHIJINI_c0357413_11033896.jpeg
驚くほどの家の建ちかた....
それも奇妙な形をしたビルが、無闇矢鱈と増えている。
ロープウェイの駅を出て少し歩いてみると
人、人、人....車、車、車....
EL ALTOとCHIJINI_c0357413_11001120.jpeg
・・・・・・
EL ALTOに上るロープウェイの窓から、
こんな写真を撮ってみた。
私にとっては、ラパスの街を象徴するような美しい風景。
EL ALTOとCHIJINI_c0357413_10592075.jpeg
フェイスブックにアップすると、ボリビアの人たちから、
実にいろいろな反応があった。
「美しい」「懐かしい」「凄い」という声。
「醜い」「酷い」「恥ずかしい」という声。

圧倒的に前者の方が多いが、後者も少なくはない。
『美しさ』というものに対しての見方の違いが、ハッキリと表れた。

『美しさ』の根源は、生命(いのち)の美しさである。
真の美しさは、日々の暮らしの中にこそ存在する。
その懸命な暮らしの美の姿を、私にはこの風景から強く感じるのだが…。
............
EL ALTOとCHIJINI_c0357413_11013480.jpeg
かつて暮らしていたChijini地区。
多くの人が『レッドゾーン』だと言う。
しかし私には、ラパスで一番落ち着く場所。

EL ALTOとCHIJINI_c0357413_11532043.jpeg
歩いていると、たくさんの懐かしい顔に声をかけられる。
「Joven! A donde te haz perdido!?」
(ねえ!どこに行ってたの!!?)
懐かしい匂い。懐かしい音。

美しさと優しさがいっぱいのChijiniである。
EL ALTOとCHIJINI_c0357413_11462262.jpeg

# by mixturamusic | 2019-07-24 11:49
La Paz...Ciudad del cielo!!! 空の街...ラパス!!!
約三週間のボリビア滞在....

何にしくじったのか.....
今回はずっと体調が悪かった。
La Paz...Ciudad del cielo!!!  空の街...ラパス!!!_c0357413_08150911.jpg
エル・アルト空港で2時間半の高山病に耐え、朝一の便でコチャバンバへ。
頭痛と息苦しさの中、同じ飛行機に乗る30年ぶりの友人に会った。

コチャバンバ.....
ラパスに比べ、標高が1,000mほど低いので、ずいぶん楽である。
心配していた寒さも、コチャバンバでは無関係である。
La Paz...Ciudad del cielo!!!  空の街...ラパス!!!_c0357413_08152061.jpeg
我がルス・デル・アンデの歌手Chelo Ariasの家でお世話になった。
レコーディング予定の新曲二つの詩を、二人で完成させた。
世界文学にも造詣が深いCheloくん、曲のイメージを伝えると、
庭をうろうろ歩きながら、スルスルとフレーズが流れてくる。

「直接対面して仕事がしたい。」

Cheloの希望もあってのコチャバンバ滞在。
彼は現在、スペイン語の俳句を勉強中である。
心地の良い共同作業ができた。
La Paz...Ciudad del cielo!!!  空の街...ラパス!!!_c0357413_07560308.jpeg
ある程度覚悟をしてのラパス入り。
Mate de Cocaを飲んで、呼吸を整えて機内へと。
コチャバンバ〜ラパスはたった25分の飛行である。
眼下にイリマニ山を見ながら、
あっという間に標高4,000mの滑走路に着陸する。
La Paz...Ciudad del cielo!!!  空の街...ラパス!!!_c0357413_08391914.jpg
数年前に建て替えられたエル・アルト空港。
出入国審査も通関もスムーズにはなったが
広くなった分、歩く距離も長くなった。
高山病には、ちょっとした距離、ちょっとした傾斜がきついのだ。

でも.....
覚悟をしていたような高山病の症状が出ない。
少し頭がフラつくだけで、普通に歩けるのだ。
タクシーに乗り、Mira Flores地区へと向かう。
街はちょうどGran Poderの祭り当日。
交通規制もあり、かなり混雑している。
本当は...祭りのentradaも見たかった。
La Paz...Ciudad del cielo!!!  空の街...ラパス!!!_c0357413_08394457.jpeg
急に体調が悪くなったのは、この二日後...
おそらく着いてすぐの体調がよかったので、
身体をいたわることを怠ったのであろう。

「高山病を拗らせると、よけいにひどいから…」
かねてから聞いていたことだ。

結局、帰るまで調子は戻らなかった。
友人たちに話すと
「年のせい?」
と笑われる。
しかしそればかりとは思えない...
やはり高山病を拗らせたのだと思う。
La Paz...Ciudad del cielo!!!  空の街...ラパス!!!_c0357413_07545208.jpg
予定していたレコーディングは先送りにした。
しかしそれも良い。
今回は、ルス・デル・アンデのメンバーとも、
たくさんの友人たちとも、ゆっくり話ができた。

いま私が、私たちがやろうとしている仕事には、
より良い熟成期間を与えてもらったと思っている。

ラパス...高山病になろうとも、やっぱり私の第二の故郷である。
VIVA La Paz !!!!
La Paz...Ciudad del cielo!!!  空の街...ラパス!!!_c0357413_07500656.jpg

# by mixturamusic | 2019-07-24 09:13
小さくとも実のある『うず』…舞台挨拶より
(Concierto EL ECO DE LOS ANDES vol.26での舞台挨拶より)

足利市立美術館で、明日(6月2日)までやっている展覧会をご存知ですか?
『世界を変える美しい本』と題された、インドのタラブックスという出版社の展覧会です。
タラブックスは、インドの伝統的な絵画作家に依頼した多くの絵本をハンドメイドで製作している小さな出版社で、現在世界中から注目されています。
小さくとも実のある『うず』…舞台挨拶より_c0357413_22245258.jpeg

一見幸せそうに見える社会には、たくさんの不幸せが混在しています。
その不幸せの質も、ますます深く、大きく、悲惨になっているように感じます。

それに対して、世界中でさまざまな活動が生まれています。
これらは『このままでは未来が成り立たない』と直感する、人間本来の能力『本能』の反応だと思います。
とても小さな行為に見えるそれらの活動の誕生も、やがて周りを巻き込み、小さいながらも、しっかりとした実のある『うず』を巻き始めます。
小さくとも実のある『うず』…舞台挨拶より_c0357413_22250582.jpg
『世界平和』を目標としたロス・クアトロ・ペスカドーレスのコンサートも26周年。足利で、確実な足跡を残していると思います。
今年もそんなコンサートの一助となれました事、心より嬉しく思っています。

みなさん、どうもありがとうございました。
小さくとも実のある『うず』…舞台挨拶より_c0357413_22291050.jpg

2019.6.1.足利市民プラザホールにて

# by mixturamusic | 2019-06-06 23:05
美しさということ
しばしば『美しさ』ということを考える。

身の回りには美しさが溢れている。
自然の織りなす美しさはもとより
虫や動物たちの仕草や造形
人の手による造作、そして芸術…

美しさということ_c0357413_18543175.jpeg

ただ空の色を見れば
なんて美しいんだろうと思う。
海の波を見ても、
川の流れを見ても、
なんて美しいんだろうと思う。
山を見ても、森を見ても
花を見ても、虫を見ても
ただただ美しいと思う。

美しさということ_c0357413_19110648.jpeg

『美しい』と感じるとはどういうことか?
『美しい』とはなんであろうか?

子供の頃、よく考えた。
『人が美しいと思うから美しいのか?
 美しいから人が美しいと思うのか?』

美しさということ_c0357413_18555473.jpeg

美しい音
美しい仕草
美しい味
美しい思い出
美しい夢…
たくさんの美しさ…
我が身近くにあってほしいと思う。

人は近くにありたいと感じるものに美しさを見出す。
知識も理屈も必要ない。
ただ美しさを感じる。

人が近くにありたいと感じるのは
生命の持続に資するからである。
未来への肯定を感ずるゆえに
近くにありたいと思うのである。

美しいと感ずるのは
生命を肯定する本能である。
未来を持続するための本能である。

美しさということ_c0357413_18553817.jpeg

人は美しくないものをたくさん作ってきてしまった。
生命を否定し、未来を閉ざすものたちを
たくさん、たくさん作ってきてしまった。

美しいフリをして、美しくないものに満たされた贋い物。
これがとても厄介である。

本物の美しさは
身の回りに溢れている。
周りを見渡せば
美しさに満ちている

本能としての感性を曇らせてはならない。
安易な美しさのフリに流されてはならない。
実体のない偽りの美しさに騙されてはならない。

普遍的な美しさは、一瞬にして、誰にでも感じることができる。
それは、生命の存在そのものが、普遍的な美しさだからである。

美しさということ_c0357413_18570653.jpeg

# by mixturamusic | 2019-05-30 20:18



  木下 尊惇 
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31